バスケットボールの歴史。いつから皮製品になったの?

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こんにちは。かいです。

突然ですが、

バスケットボールをしている人も観ている人もバスケットボールのボールの形や手触り感である皮とか重さについて気になったことありませんか?

1891年にアメリカYMCAでジェイムス・ネイスミスが室内で出来るスポーツとして、

バスケットボールを発案しました。

その当時は、桃の籠の中にサッカー用のボールを入れるというスポーツでした。

サッカーボールではじめたのに、何故バスケットボール専用のボールを作ったのか気になりませんか?

ということで・・・

本記事を読むと、サッカー用のボールから、バスケットボール専用の皮のボールになったのか知ることができますよ!

参考資料:バスケットボールのひみつ molten

参考資料:2020OFFICIALBASKETBALLRULES

1981年YMCA

冬季にできる室内で出来るスポーツとして、カナダ人のジェイムス・ネイスミスによって発案されたバスケットボール。

当時は、桃の籠2つとサッカーボールを利用して行われるスポーツでした。

このときに今も基本となる13のルールも考えられました。

 

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ちなみに、バスケットボールの最初のゲームが行われた日は1891年12月21日です。なので一部では”バスケットボールの日”とも呼ばれています。へぇ~。

 

歴史

パネル

今から100年以上も前の1894年に、アメリカではじめてバスケットボール専用のボールが開発されました。

8枚のパネルを組み合わせた一般的なバスケットボールのデザインはこの時点で出来上がっていたようです。

現在は、チューブ上に糊で革を貼り付けて作る貼りボールが一般的ですが、100年前には貼りボールを作る技術も無く、8枚のパネルを一枚一枚手で縫い合わせていました。
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糊で貼ってるから、使い込みまくったボールの皮が剥がれるんですね。この記事を書いて理解できました!
名残

現在の貼りボールのシーム(ボール上の黒いライン)は、縫い目の部分の凹凸を隠すために、ゴムで目張りしていた当時の名残と言われています。

オレンジ色

天然皮革のボールしかなかった時代に、牛の皮を加工する際、タンニンを使う手法が欧米で既に確立されており、タンニンで加工した際、皮の色が茶色や飴色になったことが起源と思われています。

12枚パネルの誕生

2004年のFIBAのルール改定により、パネルの枚数が8枚または12枚、色はオレンジと薄茶色の2色が認められたことに誕生しました。

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バスケットボール

レベル分け

バスケットボールに関する用具・器具に関しては、レベル1とレベル2に分かれています。

レベル1・・・FIBAナショナルチームおよびクラブコンベティションに加えて、全国のエリートレベル、または国際クラブと全国チームコンベティション
レベル2・・・レベル1に含まれないその他全ての大会
素材

レベル1・・・ボールの表面の材質は、天然皮革あるいは人工/合成皮革でなければならない。

レベル2・・・天然皮革と人口・複合・合成皮革に加えて、ボールの表面の材質がゴムでもよい。

レベル1もレベル2でもバスケットボール全体に適切なグリップがあること。

大きさ

球体は、幅6.3mm以下の最大12本のシーム(つなぎ目)があり、オレンジ色1色、あるいはFIBAが承認した色の組み合わせでなければならない。

サイズ(号数)が表記されていなければならない。

空気量

ボールの最下部までがおよそ1.800mmの高さからフロアに落下させたとき、ボールの最下部が960mmから1.160mmの高さまで弾む程度に空気を入れる。

推奨膨脹圧力または圧力範囲を記載すること。

サイズ(号数)

すべての男子大会では7号サイズのボールを使用しなければならない。

すべての女子大会では6号サイズのボールを使用しなければならない。

すべてのミニバスケットボールでは、5号または軽量5号サイズのボールを使用しなければならない。

ボール規格:molten

クリアー要件

耐久審査、圧力損失検査、膨張ストレス検査(レベル1のみ)、貯熱量検査(レベル1のみ)

まとめ

バスケットボールのボールの歴史についてまとめてみました!

100年も前に出来たスポーツが今でも世界で愛されるスポーツで、人々が楽しめるようにボールも工夫して作られて、その名残がいまもなお受け継がれているのには感動しました!

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

 

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